腰痛対策

自分が腰痛を治した過程をすべて書く

自分はひどい腰痛持ちでした。

背骨に、もともとのクセがあって関節が動きづらい場所があり、それのせいでカラダがゆがんで腰痛になってました。

 

結論から書くと、腰痛は解消されました。

20数年、かかりましたが。

 

子供のころからなんで、まぁ回りの目が嫌でしたねぇ。

気持ちの問題だから、とか言われましたが、無責任な発言をされたものです。

 

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はじめは、「何となく肩の高さが違うから、病院に行って診てもらいなよ。」

という父の言葉からでした。

 

近所の整形外科に行ったら

「大学病院へ紹介状を書くから、行って検査してもらって下さい。」

みたいな事を、つきそってくれた祖父から聞いたんですね。

その時はそんなに腰痛はなかったのですが、普通の病院じゃダメなんだ!と落ち込んだ覚えがあります。

 

大学病院へ行って検査されたら「側彎症の一種」だと診断されました。

「生活には問題がないから様子を見てくれ」

と帰されました。

「変形の進行度合いを確認したいから、来年また来て」

とも、祖父が言われたようです。

 

いま思えば、無責任な話ですね。

この関東の某大学病院は、数十年後医療ミス隠ぺいや不祥事を起こし評判を落とすんですが、その事と無関係では無いと思います。

心配している子供の話も聞かず、なにも対処法を教えずに帰して、研究や論文のネタにしたいのかどうなのか来年来いとだけ言うという。

田舎なもので、祖父は医者の言う事には間違いないと思っているので、しばらく一年に一回通院するようになります。

 

父から言われて1年ほどたった頃、身体のゆがみが悪化してきました。

肺も圧迫されているようで、肺活量も他の子にくらべてたいして増えていませんでした。

激しい呼吸がやりづらくなってきて運動しづらくなってくるので、運動量がへり、太ってきました。

太ると背骨への負担が増えますし、運動が減るので体幹や背筋も弱ってきて腰痛が出始めました。

 

2年位前は小学校の遊具のウンテイが好きで、ひまがあればやってましたが、体重増加と筋力低下で出来なくなりました。

運動神経の悪い神保君のスタートです。

どんどん根暗な人間になっていきます。

 

たまたま体重があったので、柔道部にスカウトされまして、体重を利用して相手を痛めつける小技なんかを使ってストレス解消してました。

すぐ息切れするんで、試合とか全然勝てませんでした。

外見も悪いし性格も悪いので女子受けは最悪でした。

まぁ当然です。

 

背骨由来の体質はもう治らないんだ、と、絶望していたんですね。

長生きも出来ないだろうし、と根暗~な事ばかり考えていました。

 

そんななか、某テレビ番組のとあるコーナーがきっかけで変化が起きます。

今でも活躍している2人組の芸人が、カイロプラクティックを題材にしたコーナーを始めます。

 

なんか背骨を動かしてるぞ、もしかして僕の背骨もなんとかなるのかな?

と、思いました。

 

関東の田舎なもんで、そのころカイロの院どころか吉野家もロクに無い所でしたんで、やっぱり無理なのかなぁ、となってしまいましたが、カイロに関しては記憶の隅に残る事になります。

運動できないのに体育の時間に運動しなければいけないストレスなどの解消に、ぐれるでもなく、ゲームにのめり込んでいきました。

自分ちに無いもんですから、クラスメイトの家にあがりこんで、無理くり遊んでた覚えがあります。

 

あと、家族旅行で都市部を経由して乗用車で遠出する時に、カイロ院を見つけましたが、当然全額自費じゃないですか、当時家が裕福じゃなかったので、その数千円を出してもらうのが言いづらくて、結局そのまま見送りまして。

お金がないと何にもできないんだなぁ、と、ますますねじれてしまいます。

 

勉強はほとんどしませんでしたが、本は昔から好きで、文字を読むのは好きでした。

暇つぶしに教科書を何回も読んでいたら頭に残るんですね、それが良かったようで、そこそこの高校に入学できました。

 

あいかわらず大学病院に年一で行ってましたが、この頃

「変化が減ってきたから、もう来なくても大丈夫ですよ」

と、言われまして。

 

症状何も改善してない、むしろ悪化してるけどもう来るな、と。

時間も金も使って行ってたのに、意味がなかったじゃねーか、何なんだ大学病院ってのは、とムカつきました。

 

が、

 

そんな事やってても訴えられずに沢山金かせげるなら、医者になるのも良いな。

 

などと、どうしようもない事を考えまして、後に医学部を何年も受験するハメになります。

 

高校に行って、学校がバイトを禁止してましたが、なんとか家にも学校にもだまってラーメン屋でバイトをはじめました。

その給料でカイロに行けばいいのにゲーム買っちゃうんですよ、バカですねぇ、昔の自分。

ドラクエ5超おもしろかったです。

 

あいかわらず女子にもてず、運動もニブイんで。

ゲームしてるかバイトしてるか本読んでるか不健全な映像を見るかのついでに、学校に行く生活をしてました。

まわりではカップルがイチャコラしてました、イチャコラしすぎて子供作っちゃった同級生もいましたね。

 

バイトして、ゲームして、肩と腰が痛くて、自分がみじめで、世の中を恨んでいました。

ねじれた考えで、金欲しさに医者になろうとしていました。

 

たかが背中のねじれが、ここまで人間を暗くしました。

無責任な医療人が、ここまで人間から希望をうばって心底からダメにしましたね、マジで。

 

ゆがんだ性根の男なんで、医学部受験に失敗し、親に頼み込んで予備校に行きました。

でも、本当のモチベーションなんか無いわけです。

医者=金かせげる だから医学部、と。

素直な心が残っていたんでしょうか、何か間違っていると心のどこかが言っていました、まったく勉強に身が入りませんでした。

サラリーマンの父は、医学部行きたいなら何年も浪人して当然、みたいに言ってくれましたが、自分自身は色んな事が限界になっていました。

 

半年ほど、何もしない、ただ無気力に生きてるだけの生活をしました。

父から思い切りブッ飛ばされました。

でも、何かをやる気なんて欠片も起きませんでした。

 

そんな中、面白いゲームが発売されちゃうんですよ、複数。

ねんがんのアイスソードを手に入れたぞ」の3作目が発売されました。

たしか同時期に、「魔神が転生しちゃうゲーム」の2作目と「女神が転生する方の1&2のリメイク版」も発売されてたはず。

そうそう、「メタルでマックスなゲーム」の2作目と1作目のリメイクもこの頃出たんだった。

父がすでにスーパーファミコンをトンカチで破壊済みなんで、本体込みで買うお金も必要です。

ざっと計算して、7~8万円です。

スーファミの黄金期ですね、ミニファミに入れて新しく販売してくれないかしら?

 

 

もう、都内への交通費とカイロ院に平気で行ける金額ですよ、アホですね、昔の自分。

 

 

ですが問題があって、この頃、就職氷河期ど真ん中でバイトの口が本当に無かった。

以前のラーメン屋も、シフトがあまり入れられなくなっていたので、他にバイトを探さないといけなくなりました。

 

なんとか見つけたのが、接骨院の助手のバイトでした。

本棚にバキとかゴルゴとかある、フツーの接骨院でしたが、自分の症状が悪化しないように助言してくれたりしました。

 

そしてこの頃、ウエイトトレーニングにハマりました。

先生の助言通りにトレーニングしたら、無くなりこそしなかったが、腰痛の頻度が減ってきました。

筋肉が付くと、カラダのエネルギー消費も増えるので脂肪も減ってきました。

金が無かったので、床屋に行けなくて長髪にしてましたが、その頃ロン毛が流行っていたので流行に乗っかれたのかモテはじめました。

 

筋肉+流行の髪型+質素(貧乏)で清潔感のある服装=モテる

 

たまたまでしょうが、接骨院の先生の助言に従ったら人生変わりました。

 

「接骨院の先生ってスゲー、自分もそんな風に困ってる人の助けになれたらうれしいな。」

と、ようやく人間らしい思考になってきました。

 

高校へ行き書類をそろえ、都内にある接骨院の学校へ願書を出しました。

高校へは毎年、医学部受験のため書類を作ってもらいに行ってましたが、たしかその時に「あなたの夢はなんですか?」と、初めて事務のお姉さんに言われました。

人生に希望が持てて、顔つきが明るかったからだと思います。

 

いくつかすったもんだありましたが、合格しました。

その接骨院で夜働きながら、昼間学校に通う事にしました。

父も喜んでくれましたね。

 

通勤時間中、超ひまだったんで、また教科書を読んで時間つぶしてました。

あまり勉強してませんでしたが、読んでたおかげで校内の定期試験は3年生まで何とかなってました。

机に向かってると背中と肩、腰がツラいのもあって勉強したくないんですよね。

そのくせゲームはOKなんだからタチが悪い。

根本的な腰痛の解消はまだ先です。

 

 

クラスで友人が出来ました、飲むと脱ぐクセがありますが、頭のいい男です。

鍼灸の資格をすでに持っていて、鍼灸接骨院を開業したいから接骨の学校に入りなおした強者です。

彼から鍼治療を受け、カラダがかなり楽になりました。

 

「自分の治療、ひいては他の人の助けにもなる、鍼灸はあって困る資格じゃないから是非取りたい。」

 

と、強く思い、父に接骨の学校を卒業した後、鍼灸の学校に行かせて欲しい、と説得しました。

人生に前向きになった息子を応援してくれたと思います、了解してくれました。

ゲーム機を壊したときは恨みましたが、ありがたい父です。

 

 

接骨の資格を取る事が出来、鍼灸の学校へも行けるようになりました。

ただ、自分自身の腰痛も治せないようでは、他人の腰痛なんて治せない、と思い、色んな治療院の情報を集める事にしました。

 

「名倉」という接骨術の流派があり、そこは達人が多くいる、と聞き、そこに患者で行く、もしくは働こうと思いました。

学生間の情報をたよりに、名倉の流派の接骨院に行ってみました。

カラダを見てもらい施術をしてもらいました。

 

ここでは治りはしませんでしたが、症状が軽くなったので、ここで働いてここの技術を習得しようと思いました。

 

バイトに行っていてお世話になった接骨院を辞め、ここに就職しました。

学校は夜間行く事にして、昼間は接骨院で働く事になりました、たまに鍼灸師の友人から鍼の手ほどきを受けたりもしました。

 

この接骨院は時間いっぱいまで雑用があるし、学校へも頻繁に遅刻したし、朝早いしで勉強はボロボロでした。

ですが、厳しいながらも患者さんへの接し方をしっかり教えて頂けたので、とてもありがたい経験でした。

 

ここの年配のオーナー先生も腰痛の持病があって、神保、おまえがおれの腰痛を治してくれ、と言われたのを覚えています。

多分、今なら治せる腰痛でした、残念です。

 

骨折・脱臼を腐るほど施術し治してきました。

トータルすると、とんでもない量のシップを作って来ました。

骨折・脱臼は、徒手でのものならすべて整復出来るようになりました。

でも、腰痛は治りません。

 

 

この後、鍼灸の資格を取った後から、神保さんの放浪が始まります。

 

自分自身が施術を受けて、効果のある治療法に巡り合えたら、そこで数年働いて取得するという事を繰り返します。

5~6年は、やりましたか。

整形外科、整体、鍼灸接骨院…数か月で見切りをつけた所もありました。

 

整形でのバイトで来ていたベテランの接骨の先生が、カイロの技を使って施術をしていました。

ランバーロールという技でした、今思い出してもかなりの精度でした。

その先生が施術した後、患者さんの腰の動きが明らかに良くなっていたんです。

 

カイロという名前は知っていましたが、結局、厚生省も怪しいとレッテル貼っていたんで、老先生の技を見るまでやる気はさらさらなかったです。

でも、「あの技は効くんだ」と痛感し、老先生に施術をしてもらいました。

 

効くんですね。

胸椎も動かしてもらったんで、呼吸も腰もすごく楽になりました。

 

厚生省も信用ならない、と新しく理解した上で、老先生のランバーロールを真似しはじめました。

カイロの教本やセミナーは、都内では山ほどあるので、神保町へいったり池袋へ行ったりしまして技術を習得しはじめました。

しばらくその整形に居たかったんですが、オーナーとケンカして辞めざるを得なくなりました。

 

色々なカイロの技術の練習をしながら、職場を変えつつ、新しい技術にも触れました。

「オステオパシー」を中心とした手技療法です。

 

AKAや操体法、内臓テクニックや神経ストレッチ、マッケンジー体操。

筋膜リリース、マッスルエナジーテクニック、MST、MRT……

そこの先生も、自分と同じように自分の治療法を探しているうちに覚えてしまった方でした。

 

そこでも色々学び、自身も施術してもらい、カラダの調子が良くなっていきました。

 

でも、まだ足りない、まだ自分自身の症状の解消には届かない…

 

ようやくこの頃でした。

「トムソンテーブル」と「MRT」のプロ施術家、骨盤調整の鬼と巡り合います。

 

背骨に問題のある自分には、骨格への0.1ミリ単位の施術が必要でした。

人間の手技ならバケモノ並みの達人でないとダメでした。

でも、そんな人とは簡単に会えません、予約が何年も埋まってます。

しかし、前世紀のうちにアメリカでは道具を使うことで精密手技を可能にしていました。

その鬼は、長年ひっそり精密手技を使い、沢山の患者さんを治してきていました。

 

骨が何個も潰れた背骨は真っすぐにはならなかったですが、こびりついた筋膜を鍼や手技ではがしながら、トムソンテーブルの施術を何回も受けることで、最終的に背骨由来の腰痛が解消しました。

 

一つの技術では足らなかったんだ。

しかし、複数使うことで治った、20年越しの呪いが解けた、呼吸が楽で普通に動ける。

 

感無量でした。

 

これが、自分の人生の見つけなければならなかった事で、これからの人生で生きている限りしていかなければならない事だと思いました。

 

決して、全てのカラダの悪い所を解消できると断言は今だできないが、人に希望も持ってもらう、人を救うんじゃなく助けになる事は出来るしやっていきたい。

 

せめて、つらい気持ちで治療院に来た人を、笑顔で帰そうじゃないか。

と、強く思いました。

 

詳細は書けませんが、そこでトムソンテーブルを中心とした骨盤調整技術を習得させてもらい、現在に至ります。

 

 

自分が開業しているか、勤務しているか、訪問専門なのかを書くことはしません。

日々、多くの患者さんに施術する毎日を送っています。

ウチに帰れば、とっておいたお菓子を嫁さんに食べられる夫をやってます。

 

 

自分が施術する患者さん以外にも、笑顔と希望のおすそ分け、じゃないですが、本当にお困りの人が参考になるのなら…と、こんなブログなんぞをやらせてもらっています。

 

 

もし、昔の自分が読んだなら、不幸な半生はなかったであろう情報を書いています。

腰痛の当事者でないと分からない、参考になる内容で埋め尽くされている文章です。

あなたの身の回りに腰痛で困っている方がいましたら、当ブログをすすめて頂けると嬉しいです。

 

長文乱文、読んでいただいてありがとうございました。

 

 

あ、ブログはまだまだ続きます。