どうも、神保です。
最近、アマニ油を健康のために摂取しております。
某番組で頻繁に取り上げられるので、油の効果に期待しすぎて買ってしまった形です。
西友に買いに行くと、たいてい売り切れているので、効果に期待している人達は自分も含めて大量に居ると思います。
さて、今回は腰痛の話題でもなく治療法でもなく、とある治療家について書いていきます。
お名前を『深谷伊三郎』とおっしゃるお灸の治療に長けた先生です。
深谷先生は、明治33年(西暦1900年)に東京の麹町で生まれました。
若いころは法律家を目指されていて、早稲田大学に入学しましたが、その後、日本大学法学部へ転校され卒業されました。
法学部を卒業したら次は司法試験ですが、その頃に肺結核になってしまいます。
当時の結核は恐ろしい病気でして、かかったら助からない病気でした、正岡子規などの著名人も結核でなくなっています。
ちなみに、結核は1943年に抗生物質のストレプトマイシンが発見されてから治る病気になりました、が、現在の日本でも年間二千人の方がなくなっています。
深谷先生は5年ほどの闘病生活を送りました。
当時、腰痛よりも恐ろしい結核ですが、深谷先生はお灸の治療で元気になりました。
深谷先生はその体験から、法律家よりも灸師の道を選ばれました。
価値観が変わるほどの壮絶な闘病生活だったのでしょう。
自分も腰痛に苦しんだ後、腰痛をなおす側になりましたので、深谷先生の気持ちのさわり位は理解できるかもしれません。
学校に通い資格を取った後、都内で灸師として活動を始められます。
当時お灸は、医者に行くお金が無い人が受ける治療として主に行われていたようです。
さらにお金が無く、お灸を受けることも出来ない人も沢山おりました。
そんな中、深谷先生は無料でお灸治療を始められます。
やばいです、善意と熱意のカタマリですよ、病気に対する色んな思いが先生を駆り立てたんでしょうね。
まもなく先生は『名灸師』と呼ばれはじめます。
初めは、同業者からのやっかみや皮肉がたっぷり入っていたに違いないと自分は勝手に推測しています。
ですがその『名灸師』が本物の『名灸師』になっていきます。
難病・奇病を片っ端から治していき、自分の治療系統を『深谷灸法』とし沢山の人間に伝え、一大お灸ムーブメントを日本中に起こしました。
その後、社団法人日本鍼灸師会の学術部長などされましたが、それはオマケみたいなものです。
自身のお灸治療の実例を本にしたのが、かなり大きな功績の一つかと。
自分の治療法・経験を大多数の治療家に伝えた、という事がスゴイです、自分も今でも先生の本を読み返していますので。
昭和49年(西暦1974年)になくなるまで、ずっと治療家であり続け、治療体験を書籍にされておりました。
お灸という民間療法を、とんでもない治療技術へとシフトした先生です、まじリスペクトです。
接骨の学校に通っている時に友人から借りた本が「お灸で病気を治した話」でして、自分が鍼灸師の資格を取りたいと思ったきっかけの1つでした。
なくなって数十年たったあとでも、どこかの誰かの鍼灸師になる原動力となったなんてすごくないですか?すごいですよね?
そんなすごい技術を体験してみたい方は、『深谷灸法』をやっている近くの鍼灸院へGOです。
今日、自分へお灸をした時に深谷先生の事を思い起こしたので、この記事を書いてみました。
これからの季節、特にお灸はカラダにやさしいのでオススメです。
結論
スゴイお灸を広めた深谷伊三郎先生はスゴイ
ちなみに、深谷先生のお孫さんは落語家の立川志らくさんです。