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後漢時代の名医・華陀

先日、久しぶりにマンガの蒼天〇路を読んだんですね。

ご存知の方も多いでしょうが、曹操を主役に進んでいく内容の三国志モノの名作です。

この作者さんは、きちんと記録されている歴史資料から多少アレンジを加えて制作しています。

曹操さんが若いころ門番やっていて恐れられていたとか、多段仕込みの醸造(酒作り)を後世に伝えたとか、証拠の残る事柄から曹操さんの人柄を大胆に推測して描き出しております。

 

そんな多才な曹操さんですが、持病がありました。

 

頭痛です。

一説によれば脳腫瘍だったようです。

 

さて、その時代は西暦2世紀、日本なんて弥生時代でして後漢から金印をもらったりしていた頃です。

(ちなみにこの後に、卑弥呼さまが曹操さんの息子が作った国のから親魏倭王の金印をもらったりします)

当時の水準の文化・技術で脳腫瘍を安全に取り去ることは出来ませんでした。

しかし、驚くべきことにその頭痛をおさえる技術、鍼灸・漢方薬の超絶技法は個人レベルでありました。

隋や唐などの時代までユーラシア大陸の東端にあった国は、なんとも物凄い驚くべき国でした。

 

で、当時は「華陀」とおっしゃる腕利きの先生が有名でした。

治療の腕前は人外レベルです。

重病のお偉いさんをメチャメチャ怒らせて吐血させて治したり、咳に苦しむ役人さんを治療し18年後に再発するからと粉薬を出しとくとかの離れ業をやります。

ちなみに、役人さん、親戚で咳がでて困ってる人に粉薬をあげたため、18年後に薬が飲めずに亡くなってしまいます。

 

そんなステキな華陀先生なんで、曹操さんも治療してもらいます。

どう治療したかは残っていませんが、おそらくは、メインは後頭部や首に鍼をしたんじゃないかと思い…ます…推測ですが。

 

ただ、当時は儒教が支配する風潮だったんですね。

その当時の価値観では、医術はなさけない職業の1つだったようで、学者みたいに自慢できるものでは無かったようでした。

なので、お抱えの医師、という身分は恥ずかしいみたいで色々理由をつけては曹操さんの誘いを断っていたようです。

結局、曹操さんの怒りを買ってしまい牢屋にぶち込まれてしまい、拷問の末に帰らぬ人となりました。

先生が必死の思いで書いた医学書も、こっそり渡した牢番が燃やしたので先生の直伝の技術は残っていません。

その医学書ですが、わずかに、ニワトリや豚の去勢のやり方は燃え残ったようでした。

 

その後、曹操さんは無くならない頭痛と大事な息子の夭折(早くに亡くしてしまう)があり、華陀先生を拷問にかけて〇したことを非常に悔やんだそうです。

 

華陀先生自身がきちんと書物を残すことはありませんでしたが、多くの弟子がおりました。

その弟子たちが華陀先生の治療技術体系を編集し、いくらか復活させたようです。

 

恩恵は後世に残っています。

 

一例として、麻沸散という麻酔薬のレシピを参考に、花岡青洲先生が19世紀の日本で全身麻酔での外科手術を成功してます。

時代が1700年は飛んでるんですが、1700年後の世界でも最先端の技術なわけですよ。

おかしいでしょ、でも現実って、時にはツジツマのあわない事も起きるんです。

 

鍼灸の技術でも名前が残っています。

華陀夾脊穴、という背中のツボグループがあります。

華陀先生レベルで重要な、って意味で華陀が名前に付くシロモノなんですが、なかなかに効きます。

これを体験してみたい方は鍼灸院で問い合わせるといいですよ!

 

 

ときおり登場する天才が、技術を急速に発展させますが、華佗先生はその中でもチートレベルです。

実は華陀先生ってタイムトラベラーなんじゃないかなぁ?割とマジで、最近のラノベみたく。

「過去に飛んだパン好き非リア充医学生が世界の医学史を変えたった」略称「かとぱん」なんつって。

 

とんでもない治療家は他にも大量にいらっしゃるので、のちのち書いていきます。

今回は、これでおしまい。